沖縄旅行 (沖縄県平和祈念公園)

沖縄
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斎場御嶽を後にして、平和祈念公園に行きました。


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平和記念公園とは

平和祈念公園は、
本島南部の「沖縄戦終焉の地」
糸満市摩文仁の丘陵を南に望み、
南東側に険しく美しい海岸線を
眺望できる台地にあります。

公園内には
沖縄戦の写真や遺品などを展示した平和祈念資料館、
沖縄戦で亡くなられた
すべての人々の氏名を刻んだ「平和の礎」、
戦没者の鎮魂と永遠の平和を祈る「平和祈念像」、
そして摩文仁の丘の上には
国立沖縄戦没者墓苑や府県、団体の慰霊塔が
50基建立されています。

国内外の観光客をはじめ、慰霊団、修学旅行生等が
多く訪れる聖地であり、
観光の要所ともなっています。

休日には多くの家族連れが繰り出し、
広い芝生で球技を楽しんだり、
ピクニックやレクリェーションの場として
利用されています。

県営平和祈念公園のホームページより抜粋。

沖縄の歴史

盛幸タクシーの運転手さんに
公園内を案内して頂き、
沖縄の歴史を教えてもらいました。

1945(昭和20)年、
那覇市の西にある慶良間諸島に
アメリカ軍が上陸。

4月1日に沖縄本島中部、読谷村に上陸。

北部へ軍を進め陥落し、

その後、首里城を陥落します。

5月下旬、日本軍は南部へ撤退。
南部は激戦地となりました。
糸数アブチラガマ、平和祈念公園、
ひめゆりの塔は南部にあります。

沖縄戦が終わったのは、
日本軍の司令官が
自分で命をたった
6月23日です。

この日は、「慰霊の日」とされ、
沖縄県では県庁や各市町村役場、
公立の小・中学校、高校などは
「公休日」だそうです。

戦争というと、
8月6日の広島への原爆投下、
8月9日の長崎への原爆投下、
8月15日の終戦が思い浮かびます。

太平洋戦争の激戦地である沖縄県では、
6月23日は、
多数の犠牲者を出した沖縄戦の終わった
大事な日。

沖縄県民の1/4が
亡くなりました。

日本、アメリカ等の外国人も含め
20万人以上が亡くなりました。

私は、これほど被害があった沖縄のことを
あまり知りませんでした。
日本人として
恥ずかしいことで
申し訳ないことだなと思いました。


平和祈念資料館


平和祈念資料館は、とても大きな建物です。
沖縄戦の継承と平和創造のための
学習、研究、教育の拠点施設だそうです。

かなり広く、
見るには時間がかかるため、
今回は見られませんでした。

次回は、ぜひ資料館をゆっくり見たいと思います。


沖縄平和祈念堂

ひときわ高い塔で目を引くのは、
沖縄平和祈念堂です。
外観しか見ていませんが
中には、沖縄平和祈念像が
安置されているそうです。


各県沖縄戦関係慰霊塔エリア/霊域参道

各都道府県が
慰霊塔を建てた
各県沖縄戦関係慰霊塔エリア/霊域参道があります。

今回は、実際には行けなかったのですが、
沖縄以外の46都道府県の慰霊塔が
この平和祈念公園やその周辺の地域に
立てられているそうです。

各ホームページを見ると、
望郷の念を持ちながらも
帰郷が叶わなかった戦没者が
少しでも故郷を感じられるよう、
その都道府県のゆかりの石などを
取り入れるなどの思いが見られます。


平和の礎(いしじ) 平和の火

平和の礎(いしじ)内にある広場の中央には
「平和の火」が
灯されています。

米軍の最初の上陸地である
座間味村阿嘉島で採取した火と、
広島の「平和の灯」、
長崎の「誓いの火」を
合火し、灯したものです。

「平和の火」に通じるメイン園路は、
その中心線が
6月23日の「慰霊の日」における
日の出の方位に合わせて
設定されているそうです。

左の建物が、平和祈念資料館です。
真正面にある三角形の頭の部分に火が灯されます。遠くには海が見えます。 
床にある少し濃い線が、6月23日の日の出の方位です。  


沖縄戦で亡くなった方の
名前が刻まれている大きな石が、
波のようにジグザグと
どこまでも並んでいるのを、
追悼式を放送したテレビで
見たことがあります。

これは、世界の恒久平和を願い、
国籍や軍人、民間人の区別なく、
沖縄戦などで亡くなられたすべての人々の氏名を
刻んだ記念碑だそうです。

世界に向けて
平和の波が広がるようにとの願いを
デザイン化したものです。

日本人だけでなく、
韓国の方、イギリス、アメリカ兵の
名前が書かれたものも
たくさんありました。

波のうねりのように、ずっと続きます。

これほどまでに多くの人が
亡くなったことを
改めて実感しました。

敵も含めて合祀されていることに、
戦争による悲しく辛い気持ちは、敵味方もない。
日本だけでなく
世界で平和にならないといけない。

地球のどこに住んでいても
安心して暮らせる平和な世界に
なってほしい。

そのために私は何ができるのだろうと

美しい公園ですが、
とても考えさせられた公園でした。

 

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