前回の続きです。
糸数アブチラガマに行ってきました。
いよいよガマの中に入ります。
ガマの入り口
入り口は、
えっ!この中に入るの?という狭さ。
下は見づらいのに急な階段。
天井は低くて頭をぶつけそう。
背が低い人でも、
頭をぶつけそうな高さなので、
かなり注意が必要です。
しかも、階段の高さが予想外に高い。
小さなお子さんや足腰の弱い方は、かなり大変かもしれません。
私は、股関節を痛めているので、
足をかばいつつ、慎重におりました。
急な階段をおりても
しばらく、天井が低いです。
下も上も注意を要します。
ようやく天井が高いところに来て、ほっとしました。
遺物を見ながら、進みます。
破傷風患者や脳症の患者のいた場所
当時、ガマの一番奥にあった場所に案内されます。
看護をしていたひめゆり学徒隊でさえ、
立ち入り禁止だったそうです。
破傷風患者や脳症の患者が末期状態になると、
生きていても
死体置き場に連れて行かれた人もいました。
2度と生きて帰れないことを察し、
叫びながら助けを求める人、
などの話を聞くと、
まさに地獄絵図です。
ここで懐中電灯の光を消します。
ガマの中は、人工的な明かりはありません。
真っ暗です。
闇です。
目がまったく慣れません。
私たちが普段、真っ暗だという状態とは
まったく違います。
何も見えないレベルが違います。
しかも、ここは地獄のような光景が
くり広げられていた場所。
ここに捨てられていたら・・・。
えもいわれぬ恐怖です。
亡くなった方々が見えそうな気さえしてきます。
見学してるだけの私でも、
早く出して、気が狂いそう、
この闇に耐えられません。
懐中電灯をつける指示が出た時、ほっとしました。
ひめゆり学徒隊について
ひめゆり学徒隊の話もありました。
私から見れば、娘くらいの子ども達。
まだ子どもです。
切断した手足の運搬、
排泄物を外へ運ぶ作業、
うめき声の中の病人の看護、
横になって眠ることもできず、立ったまま、
監視に見つからないように
岩にもたれかかって仮眠していたこと。
今なら、
学校での勉強、
友達と学校帰りに遊びに行ったり、
お洒落や恋をしたり。
一番、華やかな時期かもしれません。
ダイエットも気にするかもしれません。
ひめゆり学徒隊は、
一番、心と体を作る大事な多感な時期に、
過酷な労働、精神を病むような環境に
置かれています。
本当に
なんと言ったら良いのかわからないくらい
切ないです。
生存者
生存者に
愛知県出身の日比野さんという方が
いらっしゃいます。
兵隊として、戦っていましたが、
動けないほどのひどい傷を負いました。
水を飲む、人に水を飲ませるという使命感で頑張り、
生還したそうです。
日比野さんの娘さん達が
お父さんから聞いた戦争体験を
語り継いでいるそうです。
ぜひ聞いてみたいです。
ガソリン攻撃
ガマの中は、悲惨ですが、
それに加え、
沖縄兵からのガソリン攻撃などもありました。
天井の黒く焦げた跡が物語っています。
中も地獄、外からも地獄。
一体どう生きていけば良いのでしょうか。
ガマの中で感じたこと
この悲惨な状況とは対照的に、
ガマの中の私は
自分のことだけで必死です。
下を向くとずり落ちそうなヘルメット。
頭はぶつけそう。
地面は岩がごつごつしている。
もう早く出たい。
歩きづらい。
うんざり。
と密かに思っていました。
地面のごつごつは、
今はだいぶ良くなっているそうです。
毎年たくさんの体験学習の人達が訪れ、
ごつごつの地面が
だいぶ丸く磨かれてきたそうです。
当時は、もっとごつごつで、
しかも、裸足。
真っ暗、うめき声、横たわる屍。
私がガマに行った日は晴れです。
この日は、ガマの中の状態がすごく良いそうです。
それでも、湿気を感じるし、暗い。
沖縄戦があった6月や8月は
雨でじとじとしていて、暑さもあります。
酷い悪臭も。
ガマでの悲惨な生活。
私には耐えられない。
それでも、
糸数アブラチガマは恵まれていたと言います。
中に井戸がある。
空気孔により、わずかだが、日の光が入る。
本当に小さい光です。
わずかな光です。
危険な外に水くみに行かなくて良いこと、
水が近くにあること、
日の光があることで、
希望を持つことができたそうです。
ガマから外へ
ガマを出ると、外は明るかった。
まぶしかった。
暑かった。
さわやかだった。
あー。地上に出てきた、という安堵感。
すがすがしさ。
私は1時間しかガマの中にいなかったのに。
戦争が終わり、
生存者が外に出た時
まぶしい外の景色は
どう写ったのだろう。
残念ながら生きることができなかった人は、
この気持ちを味わうことなく、
真っ暗闇の中で亡くなった。
この光をいつも浴びられる私は、
なんて幸せなのだろうか。
太陽ってなんて素晴らしいのだろうか。
すべての物に日が差し、キラキラしている。
太陽が浴びられること、に感謝。
この幸せを絶やしてはいけない。
ここで亡くなった方の無念を放置はできない。
平和を求め続けなければならない。
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