沖縄旅行 (ひめゆりの塔・ひめゆり平和祈念資料館)

沖縄
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沖縄県南部の糸満市に
「ひめゆりの塔」と
ひめゆり平和祈念資料館」があります。


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ひめゆりとは

「沖縄師範学校女子部」、
「沖縄県立第一高等女学校」の両校が
併設されることになり、
校友誌が『姫百合』になりました。

ひらがなで「ひめゆり」を
使うようになったのは、戦後です。


ひめゆり学徒隊とは

沖縄にあった
21の男女中等学校から
生徒たちが動員され、
戦場に送られました。

女子学徒は15歳から19歳で、
主に陸軍病院等で
看護活動にあたりました。

男子学徒は14歳から19歳で、
上級生は「鉄血勤皇隊」に、
下級生は「逓信隊」に編成されました。

沖縄師範学校女子部・
沖縄県立第一高等女学校からは、
生徒222名、教師18名が
南風原の沖縄陸軍病院に動員されました。

負傷兵の看護や水汲み、飯上げ、
死体埋葬に追われ、
仮眠を取る間もなくなります。

そのうち136名が
戦場で命を落としました。

両校から動員された生徒・教師たちを
戦後、「ひめゆり学徒隊」と
呼ぶようになりました。


沖縄戦末期に米軍のガス弾攻撃を受け、
多くのひめゆり学徒や
陸軍病院関係者が亡くなった
伊原第三外科壕の上に
慰霊碑である「ひめゆりの塔」を建立しました。

ひめゆり平和祈念資料館のパンフレットとホームページより抜粋


「ひめゆりの塔」と伊原第三外科壕

右手前の石に
「ひめゆりの塔」と書かれています。
これがひめゆりの塔です。

こぢんまりとした塔ですが、歴史を感じます。

1946年4月7日に建てられたので、
戦後まもなくの時期に
建てられたことに驚きます。

沖縄は
まだまだ復興には
ほど遠かったでしょう。

その状況下で、
真和志村民らや遺族のたくさんの思いが
いっぱい詰まった塔なのだなと思いました。

左の地面にぽっかりと開いている穴は、
伊原第三外科壕です。

多くのひめゆり学徒隊が
この壕の中で、
看護活動をしていました。

ガス弾が投下され、
4名の教師と38名の学徒が
亡くなっています。


ひめゆり平和祈念資料館

資料館の開館時間は、
9:00〜17:30
(入館は17:00まで)

入場券 大人310円、
高校生210円、小・中学生100円。

16時50分頃到着したので、
急いで展示を見て回りました。


第1展示室「ひめゆりの青春」

寄宿舎での生活や
当時流行っていた小説についての展示など、
楽しい青春の一コマのような展示です。
女子ばかりでキャーキャー言いながら、
小説を回し読みしていたのかなど、
思いを馳せました。
楽しい学生生活を送っていたのだろうな。

第2展示室「ひめゆりの戦場」

戦争になり、
制服も変化しています。

南風原の沖縄陸軍病院へ動員された
当時の再現や
医療器具、学徒の持っていた品が
展示されています。

ひめゆり学徒生存者の話を
ビデオで見られます。

生存者の女学生時代の写真を見ながら
悲惨な話を聞いていると、
当時の困難さがより伝わってきます。

まだ子どもなのに、
これだけ過酷な状況に
置かれていたことに
胸が苦しくなります。

よくぞ生き残ってくれた、
辛い話を話をしてくれて
私達に伝えてくれて
ありがとうという気持ちになりました。

第3展示室「解散命令と死の彷徨」

1945年6月18日夜、
「解散命令」が出され、
生徒たちは
米軍の包囲する戦場に
放り出されます。

この後の数時間で、
100余名の学徒が死亡しました。

軍人ではなく、
戦争経験のまったくない一市民、
ましてや子ども達が、
戦場に放り出されて、
どうやってサバイバルすれば良いのでしょうか。

ひめゆり学徒隊として
貢献してきた学徒達に対して、
あまりにも無責任な
大人達の対応です。

大人も子どものことを考えられるほど、
もう余裕がなかったのかもしれません。


第4展示室「鎮魂」

沖縄戦で亡くなった
ひめゆり学徒と教師の写真が
展示されています。

四方八方を学徒と教師の写真に
囲まれています。

中に立っていると、
みんなに見つめられている感じがします。

全部で277名、
一人ひとりの写真を見ると、
改めて人数の多さがわかります。

これはショックでした。
死因が自決の人もかなりいました。

これから輝かしい未来があったはずの
若い人たちの未来が、
消えました。

第5展示室「回想」

第4展示室までは
暗い展示室でしたが、
そこから一転、
資料館の庭が見え明るくなります。
来館者の思いを記す空間です。

第6展示室「平和への広場」

次世代の方々が
平和について語り合える場をとの思いで
増設されました。

日本だけでなく
外国も視野に入れた
平和への取り組みの写真が
展示されていました。


沖縄県内にはひめゆり学徒隊だけでなく、
他にもたくさんの学徒隊があり、
男子も女子も
たくさんの犠牲者を出しています。

先に訪れた
糸数アブチラガマでは、
ガマの中が崩れないよう、
支えるための石を積み上げているのですが、
その大きな石を運ぶのを
小学校の子どももしていたそうです。

子ども達が
戦争の手伝いや戦場で武器を持ったり、
看護という形で戦ったこと。

これは、大昔のことではなく、
つい74年前のことです。


今も世界のどこかで戦争があり
少年兵もいます。

日本も絶対に戦争はないとは
言いきれない時代になっている気がします。

またいつか繰り返されるかもしれないという
危惧感をもち、
戦争の悲惨さを忘れない。
必ず平和を守るという思いが大事です。

戦争になる前に
ブレーキをかけられるよう、
戦争を知り、
どうして戦争が起こったのかを
勉強していこうと思いました。


 

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